どうも、蹴鞠です。
なんと前後編の2本立て。今回は後編です。(前編を読んでいない方は、ぜひ前編からどうぞ)
https://shukikukemari20.hatenablog.com/entry/2022/03/05/173000
さて前編では、江戸時代に江戸が文化の中心だったから富士山の「日本のシンボル化」が進んだのかもしれないと書きました。では、江戸以外の場所に文化の中心があったら何が「日本のシンボル」になっていったのか考えていこうと思います。
まずは京都。
京都には魅力的な景観や建造物が多くあります。例えば金閣寺や八坂神社など。
富士山のシンボル化は江戸に中心都市ができたからこそで、京都は江戸時代を含めて歴史上、そもそも日本の文化・芸術をかたち作ってきた中心地であると思います。
なので強いて言うならば、江戸という中心都市がなかったら富士山の注目度が幾分下がり、こういったお寺や神社を含めた「京都」そのものが一層シンボル的に見られたかもしれません。
他には、福岡だったらどうでしょうか。
寺社仏閣でいえば太宰府天満宮や宗像大社、自然の風景でいえば博多湾や少し足を伸ばすと阿蘇山もあります。
個人的には富士山同様の存在感がある阿蘇山はシンボリックに感じます。
たとえば仙台。
仙台周辺では松島や蔵王があります。芸術・文学的には蔵王よりは足を伸ばしやすい松島に人が集まり多くの人に知られる作品が生まれやすそうな気がします。「松島や〜」の俳句もありますし。(ちなみに、この俳句は松尾芭蕉の作品ではないそうです。狂歌師・田原坊という人が作ったそう…びっくり!)
蔵王も素晴らしい場所です。私も幼ながらですが蔵王・御釜の景色は綺麗だった記憶があります。
3都市を考えてみましたが、それぞれ魅力的な景色があって現在でも日本ならではのシンボル的な場所として捉えられていると思いました。
…ちなみに、この記事を書いていて思い出したんですが、竹取物語の最終盤に帝がかぐや姫からもらった不死の薬を富士山頂で焼いているシーンがありました。(竹取物語のネタバレすみません笑)
竹取物語は平安時代前期の作品です。江戸時代からみてもはるか昔の物語。
日本一の高さを誇る富士山は、江戸時代に限らずはるか昔から存在感を放ち、やはり特別な「日本のシンボル」なのかなと思います。
ではでは